JRAが1994年から導入した短期免許制度により来日した、外国人女性騎手第1号。
主に夏の小倉開催で騎乗し、特別競走を3勝したものの
史上初の「女性騎手によるJRA重賞制覇」達成までには至りませんでした。
(後に、ロシェル・ロケット騎手が中山大障害で達成)
その後、2004-05年と2005年-06年シーズンに2期連続で
ニュージーランドのリーディングジョッキーに輝くなど、キャリアハイの活躍を見せましたが、
2005年5月に行われた尿検査で禁止薬物が検出されたことにより、起訴されるという不祥事を起こしてしまいました。
2009年にはこの件で有罪判決を受け、長期の騎乗停止処分が下されたこともあり、
今後再び日本で騎乗する可能性は低いものと推測されます。
(最終更新 : 2009年10月11日)